雑記

ASD当事者(言語優位)の書きなぐり。言葉選びせずに書きなぐる。

障害は環境がつくってるよね

相変わらず文章ぐちゃぐちゃです🤔

 

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私が本気で障害に興味を持ったきっかけには2段階ある。

 

1つ目は、高校生の頃に精神科病院に入院したこと。

初めて統合失調症双極性障害認知症の人たちと間近で接したことだ。

誤解を恐れずに言うと、彼らと触れ合う日々は実にユニークだった。

「マジキチ障害者」「老害」とか世間は勝手なことを言うけれど、生身の彼らはユニークな人間に違いなかった。

 

2つ目は、高校の同級生に知的障害の子がいたこと。

うちの高校は通信制で、リアルにガチに本格的に、名前が書ければ入学できる高校だった。

通常高校入試では、ある程度の学力の目安で進学できる高校が決まってしまい、実は学力に大差の無い生徒たちの集団、卒後の進路も高校によって大体は決まっている、みたいなところがあるが、この高校は違う。

 

東大に進学する子もいれば、卒後すぐ自衛隊に入隊する子もいる。地元の専門学校や大学に進学する子もいるし、地元の有名企業に就職する子もいる。

他の高校で苦しんで精神疾患を抱えていたり、元々の身体の弱さを抱えていたりする子もいて、そんな子たちは進学や就職をせず、自分のオリジナルな道を選んでいくのが当たり前…

 

そんな人種のるつぼ、サラダボウル、みたいな同級生の一員に、知的障害を持つ彼女がいた。

朝、階段で一緒になる時の「おはよう、みとちゃん!」という挨拶

みんなの誕生日を「みとちゃんって誕生日いつ?」と聞いて覚えている可愛らしさ

残念ながら特別支援教育を行う高校ではなかったので、ある程度の習熟度別授業しかない中でも、真剣に授業を聞いている姿

文化祭でピアノ演奏を披露している時のカッコいい彼女……

 

私は、そんな彼女の姿に釘付けになった。

私の忘れ去った純粋さを彼女が教えてくれた。

 

だから許せなかった。

彼女のことをバカにする言動をとる一部の生徒のことが。

 

これも誤解を恐れずに言うと、いわゆるところの「陽キャ」「DQN」「パリピ」とされる人種も、我が校には在籍していた。

他校でトラブルを起こして、退学になった子の受け皿でもあったんだよね、うちの高校。

 

それでも不思議と、いじめというものは存在しなくて、「陽キャ」と「陰キャ」、「DQN」と「ヲタク」が手を取り合う、という少年漫画さながらの人間関係が成立していたのだけど、

陽キャな彼らにとって、知的障害のある彼女(よし、以下aちゃんとしよう)だけは、何だか悪い意味で特別だったらしい。

 

奴らはaちゃんに、とんでもない下品な言葉を黒板に書かせたり、言わせたり、

そうやってaちゃんのことをバカにして遊んでいたのだ。

これは、他ならぬいじめだよね。

 

aちゃんは、自分が書かされる、言わされる言葉の意味を知らなかったけれど、奴らの雰囲気から、良くないこと言葉であると認識することができていた。

だけれども、aちゃんには「やめてほしい」「バカにするな」「私が私の学校生活をして何が悪いんだ」と言い返す術がなかった。

 

それでもaちゃんは元気に登校していたし、いつも通りに挨拶もしてくれた。

正直、学校が彼女の生活のしやすさの為に動いたかどうかは知らない。

私自身もまた、そこまで動くということを知らなかったし、出来なかったからね。

 

それでもこんなことは思った。

彼女のように障害のある人の持つ「普通の人よりすごいところ」をもっと世の中の人に知ってもらえたらいいのに

と。

弱い立場を経験したからこそ、この人たちと共に生きられるんじゃないか?

と。

 

そんな考えを持つ頃には、ちょうど進路を決める時期が差し掛かっていた。

私は昔から志望している福祉業界に入りたくて、だけど一般入試が怖くて

(不登校による学力低下を認めたくない自分がいる頃だったんだよね)

悩みに悩んで、AO入試のある大学で障害児教育を学ぶことにしたんだよね。

親の勧めもあったし、教員免許という国家資格があれば、過去の自分への贖罪になるとも思ったから。

 

ちなみに、大学の入学前後は大好評絶賛不調祭りで、自傷行為への依存が酷い時期だった。

親にコテンパンに言われ、這いずりながら大学に在籍して、2年目の春。

今でも私の原点となる授業に出会ったのよね。

 

その授業の先生は

「手帳取ったら映画とか安くなるんだよ?取らない訳にいかないじゃん」

「使える制度や支援はドンドン使え」

「教師が手を抜けるようにするのが支援だよ」(=障害のある人のできることが増えると、支援の物理的な量が減る)

と、衝撃的な言葉をどんどん放ってくれた。

 

WAISやWISCの概要を教えてくださったのもその先生なのだけど、

それよりも、物の見方としてICFモデルを教わったことが大きかった。

 

ICFの説明は私がすると間違いがあるかもだし、長いから厚労省のを引用っと。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002ksqi-att/2r9852000002kswh.pdf

 

画像だけ貼っとこf:id:rito43:20201118095842j:image

まぁ、サッパリ分からんわ。説明もできない。

 

けど、素人な私でも、こういう物の見方は身に付いた。

 

環境が変われば障害は障害じゃなくなる。

 

たとえば、

車椅子ユーザーの人が階段を登れないのは障害だけど、エレベーターがあれば(実際には有効に利用されれば、という条件も加わるけど)スムーズに移動できる、社会参加できるよね

的な。

 

もっと分かりやすく言うと、

停電の夜に視覚障害のある人ほど強い味方はいないだろうし

ガチャガチャうるさい工場で聴覚障害のある人は集中して作業できるだろうし、何なら手話でコミュニケーションを取れば、うるさかろうが伝達ミスが発生しづらい

ということ。

一般に言う障害者の方が強みを持ってる場面って意外とあるのかも。

 

ならば、発達障害者は?

 

余計な情報が遮断された環境があれば、非常に高いパフォーマンスで仕事をできる人がいる。

 

発達障害者にとって、過剰な情報にあふれた環境や、複雑すぎる人間関係が目の前にあることなどは、

視覚障害の人から拡大鏡白杖を奪って路上に放り出す

車椅子ユーザーから車椅子を奪う

のと似たようなもんじゃないの?

 

イヤーマフや、脳や心を落ち着かせるアイテム(ライナスの毛布みたいな?)の使用

休憩時間に1人の時間を保障してもらう(これは定型の人でも当たり前に保障されるべきだよな…)

とかとか、環境が整えば、発達障害はむしろ強みになるんじゃないかな?

 

かのイチロー選手には発達障害だという噂がありますが、仮にそれが真実だとして、

彼のこだわり特性は世界に名を轟かせる超一流野球選手を作り上げましたよね。

 

発達障害の立場から見るユニークさにあふれた世界観は、芸術の世界でも高く評価されますよね。

 

環境に恵まれた、運良く適切な環境を持つことができた人達は成功するのかも知れません。

 

だけど、その他大勢の私たちは…

 

合理的配慮という言葉があります。

内閣府リーフレット、と

https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/pdf/gouriteki_hairyo/print.pdf

 

車椅子ユーザーにとってのエレベーターがその良い例です。

企業には合理的配慮提供の「努力義務」が課せられています。

(たしかアメリカでは義務だったよね)

 

多様性尊重をうたう時代なんだし

テレワークで労働環境を自分で整えやすくなっている時代なんだし

これからますます労働人口は減っていくんだし

 

_人人人人人人人人人人人人人人人_
> 今こそ発達障害の時代だよね <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

てか、発達障害の人が働きやすい環境って

定型の人にも働きやすいんじゃない?純粋に

 

あぁ、おなかすいた