雑記

ASD当事者(言語優位)の書きなぐり。言葉選びせずに書きなぐる。

障害を笑う

障害界隈でよく議論されることのひとつに

障害者を笑うかどうか

障害を食い物にしていいのか

というのがありますよね。

 

非常に困難な問題だとは思います。

 

現に世の中には、視覚障害をネタにしてキレのある漫談を披露する濱田祐太郎という芸人がいます。

また、認知度は低いのかもしれませんが、あそどっぐという寝たきり芸人もいます。

あそどっぐの芸人根性は若手のそれだと私は勝手に思ってます。

 

彼らは己の障害を、まさに個性に変換して笑いの仕事にまで昇華している人たち。

ですが、彼らを笑っていいのか?と不安になる人もいますし、いて当然だと思います。

だって、障害者を笑うな、いたわれって子どもの頃から習ってきてるんだもん。

 

一方、ハゲやデブなど身体の外見をネタにするお笑い芸人もいます。

トレンディエンジェルや、少し前までのゆりやんレトリィバァ渡辺直美とか。

渡辺直美に至っては洗練されきったセンスでカリスマ性すら感じますよね。

 

しかし、世の中には脱毛に悩み、日々不安の中で鏡を見ている方や

痩せたくてもなかなか痩せれない、または体重や体型への強迫観念に駆られる方もいらっしゃいます。

 

障害を笑う、外見を笑う。

私はこれらは同質だと思うのです。

 

例えば私ならば、不安に苛まれてパニックになる事はネタにはできません。

しかし、不器用さや不注意で身体をぶつけ回したりするどん臭さは、むしろ笑って欲しい…というか

「みとさんはおっちょこちょいだねー😁」

と思って欲しいとすら思います。

 

これらの線引きは他者目線では分かりづらく、分かりづらさゆえ、

障害者と関わる際に腫れ物に触るようになってしまう。

 

良い意味で障害という個性を笑ってもらえるかどうか。

結局は障害者本人の発信力という力量にかかってくるのかもしれませんね。

 

もっとも、その発信力を持つことに困難さを抱えるのがASDであり、

また、精神疾患全体がそうであるとも言えるのかもしれない、とも思いますが。

 

まずは濱田祐太郎やあそどっぐを面白いと素直に笑える世の中になってこそ、

真のノーマライゼーションかもしれないなぁ。

あそどっぐのネタが全部面白いかどうかは別として…(すべり芸)(愛のあるいじり)

 

歩けない芸人がいたっていーじゃん

車椅子アイドルのダンスかっこいーじゃん

ちょっと話がズレるけど車椅子有名人の先駆者が不倫したっていーじゃん

 

障害者にも健常者と同じ事をする権利があるなら、悪いことをする権利(権利ではないか…)があって当たり前じゃん

 

障害者が障害をネタにして

それが面白いなら笑えばいいよ

 

せっかく天から授かった一種の個性なんだからさ、苦しめられることはたくさんあっても、

何か人とは違う経験ができたらラッキーじゃん☺️

 

みんな違ってみんないい

世界に一つだけの花

オンリーワンダー

が素直に言える世の中になってほしいね

作っていきたいね