雑記

ASD当事者(言語優位)の書きなぐり。言葉選びせずに書きなぐる。

雑記の中の雑記

今の主治医と出会って約1年

こんなに良い主治医はいなくて、この主治医にずっとお世話になりたいと真剣に思っている

患者を人間として尊重し、発達障害特性の良さも教示してくださり、具体的なアドバイスもくださる

 

ちなみに、今の彼氏と付き合って1年半

調子を崩し、その際何となくで選んだクリニックの代診医にめちゃくちゃなことを言われ、チャンスとばかりに紹介したのが私の主治医

付き合ってる人と同じ主治医を持つことのデメリットもあったんだけど、今のところ正解だ

何よりも彼がWAISを受けられたこと、ひいては発達障害の確定診断を得られたことが最も大きい

付き合ってから、というか深く話すようになってからずっと、この人は多分自分と同じ脳みそだなって思っていたら案の定だった(笑)

アスペルガー万歳!!

言語優位万歳!!

 

よく、コロコロと医者を変えることは批判対象とさ)るけど、こと精神科界隈において、医者を変えることは必要なことだと思う

他の診療科のことは分からないけれども…

 

実際のところ、数人の精神科医とか変わってきて本当に色んな医者がいた

「あなたのは自傷行為じゃない」

「(親との関係性について)コインロッカーベイビーじゃないんだからいいじゃん」

「あなたには一貫性というものはないのか」

とかね(笑)

 

SOSとしての自傷行為をそう言われると自傷は悪化するし

親との関係性についても自分を否定したし

一貫性は確かに無いけれども、医者ならば、そうなってしまう背景を見て欲しいし

 

言葉ひとつ取ってもそうだけど、薬の処方の仕方にも言えることだ

明らかにキツい薬をホイホイ出すとか、薬の種類が多すぎるだとか副作用が出ても副作用止めで抑えるだけとか、そういう医者は私的には疑問を覚えてしまう

 

精神科医は薬と言葉、態度で治療を進める専門職だと思っているので、それらのバランスの良い医者に出会うことが大切なのだろうね

 

また、発達障害界隈は近年特に研究が進んで日々刻刻と考え方は進歩していくから

常に最新情報のアップデートをしている医者に出会うことも大切だね

 

はい、難しい話でした!!言語優位万歳!!

 

発達障害ってなんだろ?

中途半端に知識があって、しかも知識量を蓄えることは得意だから、中途半端&中途半端な自己理解ができてるんだよねー(笑)

けど自分にADHD特性があるのは知らなかったよ

今の主治医は両方の診断をしてるみたい

まぁ、ASDの方が断然強いみたいだけど

私の思考パターンは典型的アスペらしいよ

どこがどう典型的なのか、他人の脳みそを知らないからわかんないけども

ADHD特性は猪突猛進しちゃうとことか、仕事が雑(笑)なこととかかなぁ?

雑(笑)って言うのは、自分は努力しててもある程度以上は何ともならないから(笑)をつけてみただけー

 

ASD特性といえば空気が読めないことだけど

昨日は痛感したぞよ

マジでマジでマジで言われないとやることわかんない

ああ、これかその特性か〜って納得したよね

本人はいたって真面目なのにさ

やるべきこと分かんないのよね不思議すぎるよ

指摘されて「あーたしかに」ってやっとのことで気づくから(笑) 

笑ってないと辛くなる(笑)

 

色んな人の声がするーーねむくなってきたーーねるーー

 

「働ける」ってなんだろう

大前提、私には発達障害がある。

言語性IQ119に動作性IQ74と、その差は45の開きがある。

ついでに、言語性IQが高いのは無駄に言語理解が高いと言うだけの話で、他の郡指数は90前後とあまり高い部類には入らないというとんでもない脳みそだ。

 

言語理解「だけ」が高いとどうなるかと言うと、喋らせるとスゴく能力が高く見えてしまうのだ。

社会人生活でいうと、面接はバッチリ!!なのだ。

ところがどっこい。

いざ働くとなると、知覚統合が恐ろしく低いせいで気づきの力が弱く、処理速度が高くないせいで仕事はあまり早くなく、作動記憶が高くないせいでマルチタスクな業務がことごとくできない。

ADHD特性もあるのでミスも起こしやすい。

その事で上司にイヤミを言われた事もあるし、能力のせい+発達障害特性での周りと上手くいかない事は多々あった。

 

そのほかにも、発達障害者はその能力の凸凹さから疲労を貯めやすい性質を持っている。

加えて、二次障害的に不安や鬱症状を持っているために、その結果どうなるかと言うと、、、

精神的に崩壊して、解離してトラブルを起こすと。

そうして仕事を辞めてしまう、と。

 

いや、本当に甚だ疑問なのです。

これが働けていると言えるのかどうか、と。

実際のところ、働くしかないから働いてるだけの話なのです。

それが国には働けていると評価されてしまう。

主治医にも一般就労は難しいのでは?と言われているものの、A型作業所のお給料では食べていけないし、

共に生きるパートナーにも発達障害があるとなると、その状況には拍車がかかってしまうのだ。

 

それなら年金申請すればいいじゃん、という話なのですが、表面上働けているように見えること、私生活はなんとか頑張っていることから、通るかどうかは正直なところ未知数なのです。

そんな未知数の年金申請に使えるエネルギーとお金がなく、申請は頓挫しているのが現状です。

これまでの生活状況を書く用紙でトラウマをえぐられる事も申請から遠のいている理由の一つです。

 

A型作業所では生きていけない、年金申請もできていないとなると、残る選択肢は私には2通りしか思い当たりません。

①働く

生活保護

の2つです。

そして現実的に、生活保護を受けるためには年金以上の高いハードルを越える必要があるため、働くしか選択肢は無くなるのです。

 

はい。振り出しに戻る。

 

私は今、自分がやりたい事よりもできる事を優先するため、事務職を目指して動いています。

事務職として、複雑すぎる業務には関わらずに目の前のタスクをこなしていく事に専念したいと考えています。

 

これは、更に社会保障を受けられる地盤固めから遠のく活動であるとは思います。

 

働けるってなんでしょうか。

その答えは分かりませんし、きっと答えなど存在しない問いなのでしょう。

 

ずっとずっと悩んできた人生。

これからも悩んで、職歴に傷をつけ続けて生きていくのかもしれません。

 

いつか真に自分に適した仕事を見つけることを目指して。

しんどいので文章つくります

連休明けました

朝から鬱気味ですしんどいです

 

私、働けるのかな?働けるって何基準?どうやって判断してるの?

働くしか方法がないから働いてるだけなのに働けるって言われたらどうしたらいい?

わかんない全部わかんない

切りたい

でも切ったらバレるから切っちゃダメ

そんなにしんどいならリスカでもしてろ

なんて言う人じゃないからダメ

 

普通の生活は障害があるから諦めなきゃいけないのかな

そんなのおかしいよね

健常者ができる選択は私にもできるはず

そうあって欲しいし、それを証明したい

 

 

人生のifルート

誰しもがそうだと思うけど、その時その時の選択によって人生が変わってゆくのは普遍的な事実だと思う

 

私の人生だと…

あの時中高一貫を逸れずに卒業してたら京大や阪大に通えたかな?(やはり京大に憧れる)

高専生でいることに諦めをつけて、無理にでも卒業して大学編入してエンジニアになってたら…

不登校から脱却できずに中卒の人生を歩んでいたら…

逆に留年してでも全日制高校を卒業していたら…

高校卒業時の進路で何を選ぶか…浪人してでも国公立や難関大学を目指していたら変わったかな?

教職を選んでいたらどうなったかな?

新卒で入った会社でキャリア構築していたら…(ちなみに超絶ホワイト企業だった)

アイツと結婚してなかったら…

などなど

身バレしそうな勢いだな…

 

いずれの選択にもその時そうせざるを得なかった事情があるんだよね

(中高一貫を逸れたのは自分自身の決断だけだったけど)

そして凝り固まりやすい思考回路のせいか、決断すると決めると一筋に進んでエンストするんだよね

 

だから人生にifルートなんて無くて、その時自分の置かれた環境に責任を持つことがすべて

良くも悪くもなるようにしかならないのが人生

私は今の自分を嫌いではない

時々爆発してとんでもないことをしでかすけれど、それが自分

自分からは逃れられない

今の自分からは

 

だけど、今自分が新たにしようとしている決断は…

ほんの少しだけど高専卒業ルートに近いものがある

そりゃ、職業訓練期間に習得できることと高専5年間で怒涛の如く学んでいく内容には、そもそも量的な差があって当然なのです

 

やはり、理系に進みたいです

理系か福祉という両極端にも見える二択

私はこれまで福祉を選んできたけれど、それが身を削る行為でしかないのなら、余計にね

 

父は、自分も高専生だったから、あの時高専の校歌を歌うとき、人生で一番幸せだったらしい

 

理系に戻ることは、ある種、父親への親孝行でもある

(そのモチベーションで選択しちゃいけないよ、私!)

 

そして自分も擬似的にでも高専生に戻った気持ちになってみたいのもあるよ

 

何を選ぶべきか

どう生きたいか

後悔はしないか

その後の人生すべてに責任を持てるか

 

大人になって選択肢が広がった今だからこそ

理系に戻ってみたいよ

 

 

 

 

社会的弱者への批判ってどうなんだろね

最近、立て続けに死の淵で闘い献血を必要とする病気の方、車椅子ユーザーの方への批判…中には誹謗中傷と取れるものを見かけてきた。

この社会はほんとに、マジョリティ向けに作られているなぁって、そういうのを見る度に思います。

 

上で挙げたおふたりのマイノリティさ、というのは大多数からすると非常にイメージのつきにくいものなのかも知れません。

発信ツールとしてSNSを用いていることで、言葉の意味が上手く伝わっていないのかもしれません。

文字情報で伝わる情報量は直接対話の10%ほどであるという説もあるくらいですから。

そこに想像しづらい生きづらさ、というものが乗っかってくると、SNSで発信する文字情報で伝わる彼らの気持ちは殆ど伝わっていないケースもあるのかもな、とは思います。

 

たとえば、ここに分かりやすいマイノリティの例を挙げてみましょう。

左利き、です。

 

私は左利きの人と共に生きていますが、彼らにとってこの社会は不便な点がものすごく多いそうです。

例えば仕事で用いる機械の操作パネルは右側が右側にあることで、微妙に作業効率が落ちてしまう。

駅の自動改札機も左利きの人にとって使いづらいことは一度は当事者から耳にしたことがあるかもしれません。

他にも左利きで不利になることを挙げると、私の身近にいる左利き当事者は講演会レベルの熱弁をしてくれる事かと思います。

(もちろん野球をはじめとしたスポーツなどで、左利きであることが寧ろ有利になることもあるんですよね)

 

左利きの人が社会に持つ不満と

献血を求める人、車椅子ユーザーの人が社会に持つ不満って実は本質的には同じなのかな、と思ったり…します。

 

人は、自分の想像しづらい立場の人の生きづらさを想像することが難しいのは仕方の無いことです。

まして、我が国では障害や病気のある人との交流の機会はそう多くありませんから、想像しづらいことは分かるんです。

ただ、イメージを膨らませることは必要なのかな、と。

 

献血を必要とする方が炎上した原因は、彼の意図する文脈的なニュアンス(文章冒頭の強烈なつかみ、インパクト)が捉え違いされたものだったと私は思っています。

車椅子ユーザーの方については、その方のバックフィールドがツイート単体では分かりづらかったこと、でしょうか。

(いずれについても深く追求するのは避けておきます…勇気がない…こんな記事きっと誰も見てないけど)

 

マイノリティとされる人達と、マジョリティの人達、いずれもが生きやすい社会って、どうすれば築けるのでしょうね。

インクルーシブ教育?ノーマライゼーション

一応国ではどちらも掲げていますが、実際は行き届かない部分が多いですよね。

 

自分のことを例に挙げて申し訳ありませんが、発達障害があることを仕事先に伝えることが不利になってしまう段階で、すでに…です。

それこそ、誤解を恐れない表現をすると、発達障害は使いようだと私は思っています。

多くの発達障害者は、例えば芸術家として華やかに生きる発達障害者のように、特別秀でてそれでご飯が食べられる才能がある、という訳ではありませんが、特性に応じた環境があれば、ものすごく使えるんですよね。

 

弱者が弱者のまま置いてきぼりになるのが良くないんですよ、結局は。

健常者が障害者に歩み寄ることを求めるなら、逆もまた然り。

お互いにお互いの立場を想像すれば、少しは変わってくると思います。

 

そして、想像するための「道具」「引き出し」を増やすために、彼らの強烈な批判だけじゃなくて、バックにある日常にまで目を向けてみませんか。

文字情報で伝わるものに限界があるのならば、YouTubeといった方法が、今の社会にはありますから。

 

…もっとも、某丸一日テレビのような感動ポルノと一部で呼称されるものについては論点がズレてると思うので、例外ですけれど…

(弱者なのに頑張ってる、すごい!じゃなくて、弱者の日常の生きづらさを知る機会を増やしたい)

(それこそ、左利きの人が懸命に右利き用のハサミで頑張ってる映像なんて見たいかな?)

 

視点を変えてみると、

いつの時代も、何かを変えようとする人は批判されてしまうものなのかもしれませんね。

海外で人種差別撤廃を訴える運動が命懸けになりかねないものになっているように。

ある意味、ネットでネチネチ批判合戦!みたいになっている方が余程陰湿だとも思いますが。

死人を出しますよ、誹謗中傷。というか、出してますよね、すでに。

 

特に計画立ても推敲もしていない文章なので、結局何が言いたいのかよくわかりませんが…

とりあえず私は静かにこの文章をアップします。

 

全ての人がお互いを尊重しあうことのできる社会の構築を願います。

 

 

前向きになっていることが怖い

今、前を向けていることが私にとっては逆に恐怖。

 

たぶん再来週から仕事を始める。

来週の木曜日は病院。たのしみ。

そしてどこかの月曜日に予約して、職業訓練の見学に行くのだ…

たぶん職業訓練受けると少しは就職しやすくなる。

あと、私は脳の構造的に知識を吸収することに長けてるから、勉強してる方が楽に生きられる。と思う、多分。

 

こうやって前を向いて数ヶ月先のことまで計画を立てていることが私には怖くてたまらないんだよね。

そこまでに何か(事故とか病気、災害など)のトラブルに巻き込まれたらどうしよう

きちんと計画通りに進むのかな

職業訓練については落ちたらどうしよう

などなどなど

 

まぁ、自閉から来る思考の偏りなんだけどね、正体は。わかってる。

予定調和じゃないと落ち着かないんだよ、結局。

 

だから、答えのハッキリしてる仕事が私には向いている。

たとえば物を作るとか、計算を合わすとか、入力とか、そういう仕事がね。

 

今までしてきた仕事は、よく考えると真逆だった。

主治医の言葉を借りるならば、福祉の世界は苦渋の決断の連続する世界。

利用者より職員の配置人数が少ない以上、どうしても目の行き届かない所は出てくるし、そうすると、そこにあるリスクの回避や軽減は疎かになる。

よりリスクの高い利用者に重点的につくからね、職員は。

そして、事故を完全に無くすなんて絶対出来ないのに、ヒューマンエラーが発生することも有り得るのに、先日報じられた北海道の看護学校パワハラよろしく、私たちの現場でも往々にして「そういったもの」は存在しているんだよね。 

あ、実際パワハラしてくる人はナースが多いです。

ナースの世界ではパワハラ文化が良くないものとしてでは無く、そこに当然にあるものとして受け継がれているのだろうと想像します。

あと、そういうナースは介護士を見下してます。

もちろんナースさん全員がそうではないですよ?

尊敬に値するナースもいることにはいます。

 

てか、そもそも、職員の間でそんな人間関係が存在して、より良いケアなんて目指せるハズも無いのですよね。

職員間で身分の上下を設けている方は、ほぼ確実に利用者のこと見下してるもん、見てきたから分かる。

 

そして私のようにマルチタスクが苦手、ワーキングメモリの低い自閉っ子には、これらが求められまくる介護職は向かないのよね。

ひとつの事に集中する方が向いてるし、着々と知識や技能を培って、同じことを積み重ねられる仕事の方が向いている。

同一性保持の特性が悪さをするか、役立つかです。

 

 

まぁ、そんなこんなで介護の仕事は限界。

どこの世界にもパワハラはあるし、臨機応変が求められるのは分かってるけど、介護ほどではない世界に赴きたい。

新しい世界を見てみたい。

 

好きこそ物の上手なれ

なんて言うけれど、そうとは限らないよ現実は

好きな福祉や介護の世界だけれど、向いてないもん

本当はもっと認知症のこと知りたいし、実はそれ以上に発達障害について奥深くまで学びたい。 

お金が無いからできてないけど、いっぱい本も読んで学びたい。

そしてピアコンサルティング、まではいかなくても、そういう仕事がしたかった。

 

夢は砕ける。

 

現実を見るしかない。

どう足掻いても私には発達障害があることは事実で、WAISの信頼度や標準偏差から見ても、知能の偏りが顕著であることも事実。

(大まかにVIQ120PIQ75)

(発達障害の診断基準のひとつにこの差が15以上というのがあるそうな)

 

まぁ、得意を活かせば良いのですよ。

 

ほんっとに特技を活かして生きるならライターや研究者になりたいかもな。

けどまぁ…ライターは間口が狭すぎるから収入に繋がりづらくて本業にはできないし

研究者としてガチるならば、最低でも修士課程は修めないとだし、そんなお金も時間も無いし。

 

そういう意味でも現実を見た時に、具体的な内容には言及しませんが、今の解を導いた、と。

 

不安はありますよ。さっき言ってたのと同じ。

未来を見ることは不安でしかない。

 

自分が何を書きたいのかわかんない、ライター失格(笑)

 

今日は眠れるかなぁ…

午前中エビリファイで眠くて寝ちゃったもんなぁ…

 

入院する意義とは

とりあえず、今回の入院は回避した。

危険を省くための入院はアリらしいんだけれど、それよりも実生活へのデメリットが大きいから。

だけど、いざとなったら入院にはなるらしい。

 

精神科入院って、他の病気での入院と違って治療が主たる目的というよりは

症状による危険性を少しでも軽くすることが目的だよね、実際のところ

そして姥捨山的意味合いも捨てきれないのが現実

 

かつての私がそうだったように、入院させることで良い厄介払いができるんだよ、理解のない家族にとってはね

そうなると、入院することで症状は重くなったりもすると思う

 

あぁ…何で障害があるんだろうね

普通に生きたいだけなんだけどなぁ

普通に生きられればどれほどよかったか、だよ

 

あ、明日ハローワーク行こうかな

どうせ仕事は期間雇いだもん

 

思考回路がぶっ飛びまくる、しんどい

 

あぁ、何で普通に生きたいだけなのに、それができないんだろうか

自分をことごとく恨みまくるよ