発達障害とわかるまで、そして
みとと申します。
発達障害です。
この記事では発達障害と診断されるまでのことを書こうかな。
それは成人後のある日のこと
数ヶ月程前から続いていた精神的不調が爆発して、暴れ回った挙げ句、医療保護入院になったのが、そもそものきっかけ。
無事、保護室へご案内の運び…
(ちなみに保護室にいる間に世間では関西空港の連絡橋が落ち、北海道では大きな地震があり…脱出後はまさに浦島太郎状態だったよね)
保護室脱出後。
「心理検査しますね」と医師に言われ
言われるがままにWAISを受け
検査結果や諸々の経歴や症状を鑑みて
「典型的な発達障害だね」
と言われたという異色?の経歴。
学生時代から障害児教育や障害者福祉のことを学んでいて
WAISとは何を調べる検査であるかも知っていて
何なら内容も具体的に見たことがあって
自分は言語優位である自覚はあったんだよな
ただ、乳幼児検診はパスしてきたこともあり
診断がつくほどではない
それこそ「スペクトラム」の定型寄りに位置すると思っていたんだ
話は戻って検査の時のこと
心理士さんと会って
WAISのごつい箱を見た瞬間大体のことを察した
(あー、発達障害疑われてるんか)
(WAISやんけ!ワクワクする!)
いざ検査を終えて結果を待つ間には
「VIQ110のPIQ90くらいかなー🙄」
なんて思っていた次第
まぁ、結果は予想を裏切り
VIQ119PIQ74
さらには言語理解124知覚統合68
(作動記憶と処理速度は90ほど)
という凸凹にも程があるだろっちゅーものだったんだけども
発達障害ですね、と言われ
診断書にも「自閉症スペクトラム障害」とハッキリと書かれた時
よく言われる事だけど、意外にショックは無かった
むしろ何なら納得したし
当時の日記を見ると草が生えまくってるくらいだ
そんなこんなでWAISを終えて
退院して色々ありまくって時は流れ…
手帳を取ったのは昨年のこと
驚いたのは診断書の料金だ
1万て!!?1ま…1まんえん!!!???
不思議だよなぁ、と思いました、まる
(ここの考えも書くと長くなりそう)
手帳を取る時、今度こそ自分が
「障害者」なんだと自覚したと思う。
障害者だと自覚したことで
これまでの生きづらさ、今まさに抱える生きづらさに対して、いくらか肯定的な見方ができるようになった気がする。
「障害者だから仕方ないじゃん」
というのではなく
「私の持つ生きづらさには障害という名前がついてる」
「障害ゆえの難しさに対して手帳が交付されている」
と自分の中での落としどころができた。
そしてもう一点
手帳による割引サービスの存在は、なかなかに大きい
手帳のおかげで半額だから行ってみよう
という、ちょっと大丈夫なの?というモチベーションで
民間の動物園やイルミネーションに足を運んでみて、
「経験」する機会を増やすことができた。
発達障害とわかって、私にとってプラスになったことはこんな感じ。
生きづらさに名前がつく
それは、それこそ言語優位な私にとって
もっとも良かったことなのかもね。
さ。食器洗って、再度買い物に出撃準備するとするか。