活かす教訓、活かしすぎた教訓
私には、10年ほど前、父に言われた
「大切な人の大切なものは大切にしなさい」
という教訓がある。
何故だかその言葉は脳に深く刻まれてしまい、ことある事に判断基準になってしまっている。
しかし、教訓を活かしすぎることは失敗に繋がった。
結婚と離婚だ。
自己肯定感の低い自分。
寄せられた好意を拒むこともできず…
いや、表面的に見えたアノヒトは紳士的であったために、結婚という選択をし、例の書類にハンコを押してしまった。
役所で貰うと茶色、最近はネットで好きなデザインのものを購入できるというあの書類。
思い返すと、入籍前からなかなかだったんだよね。
私の抱えたトラウマを治療して欲しい!と言い出して、拒否してもそれを結婚の条件にされてしまって。
私も「結婚」「仕事」「子育て」とかいう、世間の求める成人女性像でいなきゃ!という焦りもあったから、渋々飲んでしまったんだよね。
(民間のトラウマ治療のセラピーを受けました)
(セラピーを受ける際には、きちんとしたエビデンスのある療法を選ぶべきだと痛感しています)
(そして、セラピーによるストレスを発散できる環境を整えるべき…)
彦摩呂に似たセラピストの元へは定期的に通い続け、事前にセラピストに言われていた
「人生で最も調子の悪い時期」
はすぐに訪れた。
それが、アノヒトとの新生活や職場の人事異動と重なり
https://mitorin.hatenadiary.com/entry/2020/11/17/130919
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結局、入院中のある日、病棟にやってきた彼に離婚を告げられました。
ずるいよね、暴れても未遂を図っても保護室や鎮静剤のある環境にいるタイミングを選ぶなんてね。
で、何でこのことで教訓を活かしすぎたか?ということだけども
私は、アノヒトの大切なものを大切にしすぎたのだ。
アノヒトの大事なものは家族…いや、母親であった。
家族を大事にしていると勘違いした当時の私は、義理の家族を大事にするアノヒトの態度を大切にしすぎてしまった。
そしてアノヒトは私を妻として大切にしようとしたのではなく、精神疾患のある妻を献身的に見守り介護する俺、が大切でもあったんだ。
教訓を活かしすぎたゆえ、
見抜くという行動に進めなかった。
それが私の失敗。
発達障害のある人って、きっと生真面目な特性のある人が多いから、目先の何かを疑うことって難しいんだと想像する。
ましてそれが「夫」であれば尚更。
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以下、話がズレます
介護というかモラハラだったんだけども
不安で仕方無くてじっとできない時に
「そんなにしんどいならリスカでもしてろ」
って言われたのは忘れられない。
その言葉も今でもリフレクションしていて
自傷行為に踏み切るハードルが低くなったままなのよね。
人の振り見て我が振り直せ
私も言葉には気をつけたい
そんなお話
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更に話はズレるけど
離婚までは揉めに揉めた。
精神疾患や発達障害を抱えた人が法律に関わるトラブルに巻き込まれると本当に大変だから
本当に人生の判断は慎重に。
だけど、今私は実家を出たのは正解だと信じてる。
経済的には負担がかかるけど、親のプレッシャーからは解き放たれて、自由なペースで生活できるからね。
慎重さと一歩踏み出す勇気、両方のバランスが取れるといいなぁ。
そんな私は今、小さな判断に悩んでいる。
運転免許の限定解除をすべきかどうか…
いやー。5万円は大きいよねぇ(笑)