雑記

ASD当事者(言語優位)の書きなぐり。言葉選びせずに書きなぐる。

やりたいこととできること

結論、やりたいこととできることは違う。

 

多くの子ども達は小さな頃に「将来の夢」を決めさせられる。

課題だから、夢なんて無くても無理にでも何か決めさせられる。

絵にしたり作文にしたり、させられたよね。

いや、悪いこととは言わないよ。

そういう方法で人生観や職業観を育てることにもなると思うから。

 

そしてまた多くの子ども達は、中学生あるいは高校生、人によってはそれ以降の時期になると、今度こそ本格的に将来の自らの生き方について問われることとなる。

この段階では最早「将来の夢」という表現は適さなくなっており、その時その時の選択が自身の行く先に濃厚に意味を持つようになってくる。

 

平成初期生まれの私たち世代は、生まれてからずっと不況で、いくら有効求人倍率が高くなったと言われても、ブラック企業トラップも仕込まれる時代で。

夢を追いながら生活を成り立たせることも困難な時代でもあって。

女性である私から見る、同世代の進路は

「教員」「学童指導員」「看護師」「薬剤師」「臨床工学技士」「歯科衛生士」

と、手に職つける系な、あえて悪く言うと非常につぶしのきかない職業が多いように思う。

(特に看護師さんになった人がすごく多い気がする)

専門職を選ばなかった人たちも、多くは企業への就職を選択し、夢を追って……という人はものすごく少なかった印象だ。

 

夢を追う、という一見すると非現実的なことを大人は良しとしないし、

自分たちもまた、不況を目の当たりにしてきたから目先の安定をとる世代でもあると思うんだよね。

夢を追うのは安定させてから…的な。

別の見方をすると、インターネットのおかげで、現実世界を生きつつ、夢を追うことの同時進行が許されるようになったとも言えるのかもしれない。

 

さて。

かく言う私も、進路選びにあたっては絶対専門職になる!と決めていた。

その根拠は…?

過去の自分への贖罪。

この時代の自分は過去の自分への申し訳なさが大きすぎた、そこは反省。

 

まぁ、前記事の流れで、私は結果的に福祉職を選択することになった。

何なら、実は子どもの頃から福祉の仕事に就きたいという思いは強かった。

そんな福祉職の中でも、就くなら絶対障害系の職業一択!で考えていた。

そう、私の障害への関心は、ASD特性によるものそのものなんだよね。

ざ!興味関心の偏り。

鉄オタ属性のASDさんが鉄道会社への就職を目指すのと同じような感覚だと思ってる。

 

結果、私は社会人となってB型作業所の支援員になった。

やりたい仕事に就くことができました。

ここの作業所は作業品目が一種類しかなく、その中で幾つかの工程がある、というものだったから、発達障害のある私にとって支援員としての仕事がしやすかったんだよね。

やるべきこと、どうすればより良くなるかが分かりやすかった。

まぁ、この時の私の行う検品の腕前は、まさに職人芸ですよ。詳しくは書けませんが。

時々自分が福祉の仕事をしてるのか、工場勤務なのか分からなくなるほどだった。

 

また、利用者さんの人数も少なくて、その分職員の人数も少なかったから、人間関係に悩むことも少なかったんだよね。

今思うと、ここは私に適した労働環境だった、というわけ。

だけれど、当時の私にそこまでの事は想像する力は無くて。

適していたという自覚もなくて。

後から振り返って気づくんだよねぇ…

私はB型作業所に適性があるんじゃない。

小規模で単一作業の作業所に適性があるんだよ…

 

よーし2年目も頑張るぞ!

と思っていた矢先、まさかの!!だるま落とし式の人事が発動!!

みとさん、めでたく生活介護へ異動!!

ここでの仕事は複雑だった。

aさんのトイレ誘導に行って、aさんがトイレ入ってる間にbさんの移乗して、終わったらcさんの見守り…

と複雑すぎる業務。

利用者さんの人数もB型の3倍。

職員の数も相応に増えて20人近い。

良くも悪くも御局様に目をつけられて、仕事内容は私にはキツすぎて、(そこに仕事以外の要因も加わって)そして脳と心がへし折れたのです。

医療保護入院になったのは、その直後のことであるのは言うまでもない。

 

うん。同じ福祉でも、こういう仕事は向いてなかった。

 

それ以降の仕事の事は割愛するけれど、

たとえば同じ「福祉」それも「障害福祉」の仕事でも、向いてるジャンルと向いてないジャンルがあるんだよね。

 

要するに、仕事を選ぶにあたって、一見同じ職業に見えても、そこに適性があるかどうかまでは、より詳しい情報を見てみないと分からないんだよね。

 

その後、私は正式に発達障害だと診断され、社会復帰にあたっては、また障害福祉を目指そうかと考えた。

だけど、きっと色んなことを考えすぎてしんどくなってしまうから、今は高齢者中心系のサービスを提供する事業所にいる。

やりたいこと、を再度仕事にしているのが今の私です。

 

適性?正直なところ、微妙です。

とある業務には適性ナシだなって感じるけれど、別の業務は程々にこなせたりする。

アンバランスってやつです。

 

(あと、人間関係が悪すぎるのもしんどさの一つ。)

(とある条件を満たす来年の6月には退職しようかな、とか考える始末)

(それは打算的すぎるし逃げにも該当する気がするから、今は利用者さんのことをしっかり見て働くのみだね)

 

最初、職場にはクローズで就業していたのですが、夏頃に一度爆発した際、障害をオープンにしました。

 

厳しい話ですが、オープンにしたところで、環境って何も変わりません。

というか、変えられないんです、簡単には。

 

それまで積み上げてきた仕事のやり方を、私のために変更しましょうか!

なんて言い出すと、反発が起こるのが職場というもの。

それでも上司は、私のためではなく利用者さんのためでもあるから、と変えようとするけど、変わらない。

 

だから、適さない環境で特性のある人間が仕事をするには、自分を環境に合わせる必要がどうしてもあって、

そうすることでバーンアウトを招くのです。

一般的に、発達障害者のストレス容量は定型の人のそれよりも小さいから、余計に。

正直、今回の職場復帰が上手くいくとも実は思ってないんだよねぇ。

環境は何も変わってない。

だからと言って自分を変えるのにも限度はある。

 

前回の記事とも繋がるけれど

それなら、できることを仕事にした方がストレスは軽減されると思うんだ。

私はあの時、偶然配属された職場が、実質的に単一作業の工場だったから、働きやすくて最低限のストレスで毎日を送ることができた。

(今思うと、それで私は福祉職できるんだ!って勘違いにも繋がってた気はする)

 

再度結論。やりたいこととできることは違う。

 

それは障害者に限らず、健常者にとっても同じことが言えるのかもしれないけれど、

障害のある人にとって、やりたいこととできることとの乖離は、健常者よりも大きいんだろうと思う。

一見すると健常者に見えてしまう発達障害者に対しては、やりたいことととできることの差が

「甘え」「怠け」と評価されることにもなってしまう。

 

そして、発達障害者のできること、は大抵は仕事として成立していなかったり、

驚くほどの低賃金であったり、

パート労働前提で、フルタイムを目指す道すら無かったり、

3交替勤務で24時間体制だったり……

(発達障害者の24時間体制勤務はオススメできない、と主治医が言ってた)

 

できることは仕事にできねぇのな

 

今私は、やりたいことととできること、の狭間で悩んでいる。

何でも器用にこなせる人なら、やりたいことを半ば無理にでもできるようにできるのかもしれない。

あるいは、できてなくても他の要素で補って、同僚たちから白い目で見られずに済むのかもしれない。

そうはいかない私たちは、この社会でどう生きればいいんだ…?

 

前回の記事は社会を障害者に合わせる。

今回は、障害者を社会に合わせる。

というお話でした。

書いてみた結果わかったことだ。

 

発達障害の人にこそ適性があって、きちんとしたお給料の発生する仕事、あればいいのにね。

あ、もちろんブラック企業はダメよ。

発達障害じゃない人が入っても、身体の病気や、精神疾患の患者さんを生み出す事になるから…

 

職場復帰、どうしよう。

周りの目を気にせず働いてごらん、なんて言われてもね…

とりあえず、どうにか来年の6月までは耐えてみよう

そこから先のことはそれから考える!

 

特性、先延ばし発動!